「異世界転生」というジャンルは現代社会が生み出した闇なんだなと思った話
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加熱傾向にあった「異世界転生」ジャンルの流行も、出版社サイドの“異世界転生プロットの禁止”という異例の御触れにより落ち着きを取り戻しつつある昨今。僕らは何故、異世界転生や転移に憧れや魅力を感じてしまったのだろうか?本日はその辺について考えてみようと思う。

 

目次

意外に古い異世界転生・転移の歴史

ここ数年の間で爆発的に「異世界転生・転移(以下 異世界転)」作品が増加したため、歴史の浅いニュー・ジャンルなのか?と、一瞬誤解してしまったのだが、よくよく考えてみると筆者の幼少期には『魔神英雄伝ワタル』や『ふしぎ遊戯』、スーパーロボット大戦で有名な『聖戦士ダンバイン』などなどの「異世界召喚タイプ」の作品が既に存在しているため、ジャンルの歴史としては最近になって急に誕生したという訳ではないようだ。むしろ、下記の「BOOKOFF Online」サイトの「世界召喚・転移・転生ファンタジー小説の歴史」を見てもらえばわかるように、日本国内には古くから異世界転系統の作品が多数存在しているようだ。

驚きなのが『古事記』や『御伽草子』にも「異世界転」の要素が含まれているようで、当ジャンルの歴史としてはパイオニア的なポジションとなるらしい。もう『御伽草子』は御伽草子ってジャンルだと思っていましたよ。

「異世界転」の歴史もなんとなくわかったので、「転生」「転移」「召喚」と、異世界の地に主人公が訪れる方法も様々なため、簡単に過去の代表作を交えながら筆者なりの「お約束」などについて説明をさせていただこう。

あなたは我らの救世主!?異世界召喚編

異世界の儀式などにより現実世界から召喚されるパターンの「異世界召喚タイプ」。

「魔王を倒し我が国を救ってくれ」と、自らの手に負えない事態の収集を現実世界の人間に何とかしてもらおうとする他力本願で迷惑な展開がオーソドックス。

「災い訪れし時、異国より勇者が訪れ世界を救う」なんて都合の良い言い伝えが国に伝承されているため、「困ったら召喚すればいいや」という、なんとも行き当たりばったりな運営で国が動かされているのだ。

そんな災難に追い打ちを掛けるように、大体の場合、問題を解決するまで現実世界に戻ることが出来ないという絶望的な制約が付き、強制的に世界を救う旅に出されてしまう。

せめてもの救いは、召喚される際に何らかの“特殊能力”が付与されることなのだが、実際問題、迷惑なことには変わりない。

『魔神英雄伝ワタル』などの昭和作品の場合、問題解決後は、晴れて現実世界に戻ることが出来るのだが、再度(続編)召喚される事もあるため、現実世界に戻れたからといって決して油断は出来ない。ワタルの場合は連れていかれているので転移の可能性もあるけど・・・。

上記のような「救世主召喚スタイル」を定番すぎると、平成の世に誕生した新たな召喚作品の新しいスタイルが「異世界で現実世界の人間を争わせよう」タイプである。

敵対する国々同士が現実世界の人間を召喚し、それぞれを「救世主」として争わせる「代打ち」に近い仕組みなのだが、何の因果か“友人同士”が召喚さる事例が多く、現実世界の人間関係を破綻させる“皮肉な展開”が売りとされている。

『ふしぎ遊戯』や『神秘の世界エルハザード』などがそれに該当し、異世界を舞台に知人同士で争うという葛藤混じりのドラマを強制的に演出させられるのだ。

召喚作品の中には、散々コキ使っておいて最後は異世界を救うため人柱になれなんて『魔法騎士レイアース』のような衝撃的な作品も存在している。過去作品と比較してオチとしては斬新なのだが、召喚される側としては傷口に塩を塗るような展開である。いや、ほんと頼むから召喚しないでくださいって感じ。

一番怖いのは人間!?異世界転移編

一定の範囲内の全ての物や人が何らかの理由で異世界に転移させられる事から物語が始まる『異世界転移タイプ』。個人的に筆者が1番直面したくない設定である。それもコレも、全ては“楳図かずお”先生の名作『漂流教室』だ。

先に紹介した『漂流教室』では、学校と校舎内にいた生徒たちが転移させられ、どこかもわからない異世界で集団生活を余儀なくされてしまうのだ。当然、未知なる世界に限られた食料という極限状態での集団生活ですので、思想の違いによる争いは必至・・・。コチラの作品、オチとしては異世界転移ではありませんが、『戦国自衛隊』や『ゲート 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり』など、転移作品は人間同士で争うことが多い傾向にある気がするので、異世界の地に飛ばされる原因としては、個人的には最悪。

『ゲート』のように自由に行き来出来る状況は転移になるのかな?なんて考えましたが、言葉の意味合い的には下記とおりなので、転移という定義としては問題ないのではないでしょうか。転移と召喚の違いに付いては曖昧ですが、誰かしらが意図的に呼び寄せた、人以外の物も異世界に飛ばされた等の場合は「転移」と考えるべきなのでしょう。

てんい
転移 《名・ス自他》
場所や状態が移り変わること。それを移し変えること。

強くてニューゲーム!!異世界転生編

最近の異世界転の主流ジャンルはコレ!!ってな感じになっている「異世界転生タイプ」。BOOKOF Onlinenの年表を見てもわかるように意外に少ない異世界転生作品。

異世界や過去の人物が現実世界に転生して過去の記憶が甦って・・・なんて『月間ムー』みたいな展開の作品には馴染みはあるのですが、現実世界の人間が異性界に転生する作品て、こうして考えてみると“ぽりりん”こと“あかほりさとる”先生の『天空戦記シュラト』くらいしか筆者は思い浮かばないのである。

その前に、何の取り柄もない現実世界の人間が異世界に転生して役に立つの?なんて疑問も浮かぶのだが、その辺は完全にご都合主義で、転生時にチート級の特殊能力が付与されつつ、現実世界での記憶まで持っているという、“強くてニューゲーム”状態で物語が展開されることが多い。

番外編 ゲームだと思っていたのに!!仮想現実編

異世界転ではありませんが、精神のみ仮想現実の世界に閉じ込められてしまうなんて作品も多数存在しています。ゲームをクリアするまではログアウトすることが出来ない設定は“お約束”。RPGゲームのような世界観と、ゲームの世界での死は現実の死となる緊張感ある展開は最早テンプレである。

ここ最近の代表作としては、商業的にも大成功した『ソードアート・オンライン』がこちらのジャンルに該当する。

『SAO』では、事件の首謀者であるゲーム制作者によって、アバター(仮想世界の自分のキャラクター)の姿が物語序盤で現実世界の自分の姿に変更されるという、ネトゲユーザにとっては“生き地獄”のような処置が取られ、多くの視聴者に衝撃を与えた。

筆者の知る今ジャンルのパイオニアは、ラジオドラマなどにもなった『クリス・クロス―混沌の魔王』なのだが、海外作品には、ボードゲームに閉じ込められるという設定もある『ジュマンジ』も存在しているため、正確な元祖を考えると、なんとも悩ましい感じである。取り敢えずは、VR系の技術が発達し続けているので、いつかゲームの世界に閉じ込められるなんて事も現実になるのでは!?

基本的な世界観が既に確立されている創作のしやすさ

異世界に召喚・転移・転生した作品の歴史や定義ついて簡単に説明させていただいたのだが、なぜ今になって急に異世界転作品のリリースが増加傾向にあるのだろうか。その理由は作品としての創作のしやすさにあると筆者は考えている。

北欧神話を基礎として創作されたファンタジー作品。中世を彷彿させる想像の世界にはエルフやドワーフ、ホビットや人間など様々な種族が共存し、ドラゴンやゴブリンなどの魔物の被害に頭を抱えている。以上のような世界観を誰しもが容易に想像できてしまうほど、ファンタジー世界の設定は既に確立され、多くの人々に認知されているのだ。

そのため、いまさら色々と詳細をする必要もなく、読者サイドで勝手に世界観を理解し補完てくれる辺りが、ファンタジーというジャンルの創作しやすさに繋がっているのである。しかし、オリジナリティという魅力を考えた場合、話は別だ。

「ドラゴンに攫われた姫を助けるべく4人の冒険者達は旅に出る」なんて、あらすじを聞いてもワクワクしないように、王道ファンタジー作品は既に飽和状態となっており、余程の切り口がない限り斬新さを生むことは難しくなっている。そういった事情もあってか、世界のヒット作をみても舞台は現代社会という作品が多い傾向にあるのだが、そんなトレンドに反するかのように我が国では、王道ファンジーの世界を舞台とした「異世界転生」作品がヒットしているのだ。

物語の舞台となる世界の設定としては、あまりに使い古された王道ファンタジーながら、作者都合の転生主人公の設定により、若年層読者を引き込むオリジナリティを生み出すことに成功した今ジャンル。

基本的な世界観はテンプレート的に出来上がってるゆえ、主人公の設定だけ考えれば、あとは既存のファンタジーの世界にハメ込めば良いというハードルの低さ。いわば二次創作?いや三次創作にも近しい敷居の低さが創作活動を好む若者たちに受けたのである。そういった状況は、「小説家になろう」などのアマチュア作家のサイトを覗いてもらえばそれらは明らかだ。

そして、そういった作品の中で人気のタイトルが文庫化、漫画化されていった結果、星の数ほどの異世界転生作品が生み出されたのである。

しかしながら、こういった作品がトレンドなっている現況に、筆者は危機感を感じてしまう。

「異世界転生作品」人気対する不安

冒頭で紹介したように、現在「異世界転生タイプ」の作品の応募があまりに増加してしまったため、出版社サイドで応募テーマとして禁止という異例の事態が取られているのだが、既に発刊されている作品も多く、その人気も未だ根強い状況にある。異世界転生という使い古されたファンタジーの世界を基盤とし、現実世界から転生したキャラクターに個性的な能力を付与するという、昨今のアイドル・コンセプトのような「お手軽手法」で量産されている作品に関わらず、なぜ多くの読者達を惹きつけたのだろうか。

ここ数年に発刊された作品を見ていると、その物語の大半は「主人公の唐突な死」から始まり異界地に転生させられるのだ。そして今ジャンルの“お約束”である「前世の記憶」と「ずば抜けた特殊能力」で、異界の地の様々な問題を解決していく。

“問題”といっても、異世界の民が頭を抱えるものであり、チート級の能力を持った主人公には難なくこなせる内容ため、平然と問題を解決した主人公に対し異界の民が「あんた・・・何者なんだ・・・」と質問する定番の展開に発展してしまう。

もし主人公が「水戸の御老公」ならば、そこで色々と自らの地位を公表するのだが、今ジャンルの主人公は本来はパッとしない生活を送っていた人間だからだろうか?「ちょっとやりすぎちゃったかな・・・今度からは力の使い方に気をつけないと」なんて目立つことを嫌うのである。

こういった設定があるからか、大体の作品の主人公は異世界で起きる全ての状況を客観視する傾向にあり、ヒロインや仲間のピンチ、目の前で起きた事件にしか介入しない、管理者的なポジションを好んでいるのだ。

特殊な能力だけが入れ替わった平凡なジャンルながら、多くの若者達に支持されている今ジャンルの背景にあるのは、辛い現実に対する逃避的な願望である。

まず「転生」というテーマには、人生をやり直したい、できれば苦労しない才能を持ってやり直したいという願望が現れている。次に主人公の人々に対する距離感である。こういった作品の主人公の大半は、自らコミュニケーションを取ることに対して奥手なタイプが多いのだが、主人公に助けられたり、ずば抜けた能力に憧れた人間が気がつけば自然と主人公の周りに集まってくるのだ。

創作物の主人公なのだから当たり前だろと思われるかもしれないが、そういった光景には人気者に対する憧れなどのコミュニケーションに対する創作者の弱さが感じられる。そして、こうした作品が支持・共感されるという背景には、それだけ多くの人々が上記のような現実に対する不満やコミュニケーションに対する不安を持っている事を意味しているのである。

ここ数年で急伸したジャンルのため、完結はまだまだ先になると思われるが、現実逃避にも近しい「異世界転生」作品がどのようにして物語に幕を下ろすのか今から気になって仕方ない。頼むから放棄だけはしないでくれ。

 

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